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1991年ソ連崩壊、私がみたモスクワ
1991年、ソ連が崩壊した年、KLMの飛行ルートは成田ーモスクワーアムステルダム、成田―アンカレッジーアムステルダムがありました。その後、直行便が増え、すべてが直行便に移行していきました。その最後の経由便がある年、モスクワステイの時のことです。 全く物のない時代。モスクワに行くときには、ほとんど外食もままならないので、食料を持ち込むように言われていたので、カップヌードル、チーズ、お菓子など非常食をもってモスクワのホテルに。 季節は真冬。雪が降っていました。最初で最後のモスクワステイ。ホテルにじっとしてはいられない。赤の広場に飛び出しました。いくらか両替したルーブルを握りしめて。 赤の広場では兵隊が毛皮のこんもりとした黒い帽子をかぶって警備していました。テレビのような格好にカメラを向けると心なしか顔はゆるんで写真を撮ることができました。Sponsored Link
モスクワでのショッピング、グム百貨店で買えたものは?
物のない時代、食べ物やさんは長蛇の列。なんのために並んでいるのかわからないけれど、とりあえず並ぶ、そんな時代でした。 赤の広場には、ベネトンのドルショップといわれるお店がありました。USDのみ買い物ができる店。そのお店には普通にベネトンのセーターが50ドルくらいで売られていました。 モスクワの人々はルーブルがあっても超インフレで買うべきものがない。グム百貨店の入口の前のガードマンを押しのけ、そのロシアで一番歴史のあるデパートの中へ。2階建てのクラッシックなデパートでした。 お店を一軒一軒のぞくも、ほとんど買うものがない!!!それでもルーブルが使いたくて、ソ連のピンバッチを3つ4つ買ったのを覚えています。 ガイドブックには、なぜか、「ロシアのお花の香水」が有名と書いてあったので、それを買いにいこうと書かれているお店にいきました。アドレスの美容院にはもちろん、ロシアの香水などなくて、反対に、あなた香水持っているならください、といわれた気がします。 雪と雨でぐちゃぐちゃに濡れた裏通りに油絵を売っているひとがいました。すかさず、その中の1枚を買ってルーブルを使ったという思い出があります。その絵はなんか寂しげな風景の絵でした。あの絵はどこへいったんだろう。5つ星ホテルの滞在、こんなステイでした。
5つ星ホテルといったって、バスタブのお湯は緑色で、ホテルにいる間、なんにもする気が起こりませんでした。 朝食の大広間へ行くと、大きなお皿に丸いサラミが3枚だけ。着色のオレンジ色ジュースと丸いパンがいくつかあるだけでした。それでも朝食を食べて同僚と話をしているとウェイトレスのおばちゃんたちが 「キャビア~」といいながら近寄ってきて、「20ドル」 と言って彼女のエプロンの下からキャビアをテーブルのナプキンの下に素早くいれるのです。 その素早いこと!!!あっけにとられて1缶もらいました。 こうやって手に入れたキャビアをコートのポケットに忍ばせて持ってドキドキハラハラしながらセキュリティチェックを受けて。。。。無事出国。 それにしても大変な時代。1991年から1993年までは厳しい時代だったといいます。ソ連が崩壊して、そのあとは「独立国家共同体」、なんて名前で機内でアナウンスをしていたのを思い出します。 そのむかし、アエロフロート航空は、機内サービスなるものが存在せず、社会主義的なサービス(?)で、機内食を出しても、スプーンやフォークなどのカトラリーはすべて数える、なんてことをやっていました。なんか快適そうな気がしなくて、ロシアの航空会社には乗りたくないなとずっと思っていました。 ところがS7シベリア航空にのったら、こんなに快適、飛行機ピカピカです。 S7航空(シベリア航空)の国内線ビジネスクラスの超豪華な搭乗記Sponsored Link